PROFILE(自己紹介)

オオニシタケシ
株式会社1000パーセント 代表
WEBコンサルをしながら表現をしてる関西人
  
1983年7月23日生まれ。
京都府出身。滋賀県在住。O型
 

★過去の経験

  • ・空手で全国3位なりました。
  • ・社会人の営業で約130人中1位なりました。
  • ・独立して4年半経ちます。(2017年4月現在)
  • ・ネットショップで売上月540万達成しました。
  • ・WEB制作会社を立ち上げました。
  • ・大手アパレル会社し◯むらさんのサイトアドバイザーしてました。
  • ・WEBコンサルティングサービス始めました。
  • ・それぞれのお客さんの狙いキーワードで上位表示させました。
  • ・売上アップにも貢献しました。
  • ・起業コンサルティングサービス始めました。
  • ・セミナーに参加した方の50%以上が一歩踏み出しました。
  • ・たくさんの人にハッピーを与え共につくりました。いや、つくってます。^^

  
でも、
 
簡単に全部やってきたわけじゃなく、その瞬間瞬間、不安もあり、恐れもあり、悩んでは、感じて、一歩一歩手探りながら生きてきました。
イイところだけじゃなく、不安や恐れ、喜び、楽しみ、感動、たくさんの感情を感じてきた自分が 今 大好きです。
 

と、過去はまぁそんな感じです。^^
まぁ過去なんてどうでもいいですやん♡
 
詳しく聞きたい方は是非オオニシタケシが参加するイベントに参加してください。
会いに来てください。
元気と勇気とハッピーになれますから。
 
ということで、今の僕を少しでも知って頂けると嬉しいです。
価値観を感じてくださいな。
共感できるなら是非つながりましょう。^^
いつでも連絡してね!
1000%返答します。

価値観

感じてること綴っていきますね。
 

「 あらゆる感情と共に生きる 」

僕ね、最近気づいたんですよ。
 
「あれ?あんまりオレ強くないぞ」って。
 
今まで空手やってたり営業部やってたり、まぁ、完全に体育会系の環境の中で育ってきたんですけど、体育会系って「前に進むぞー!」っていわゆる男性性が強いわけで、どちらかというと未来思考やと思うんですよ。
 
だから今までは不安とか恐れとかキツイとか寂しいとか悲しいとか、いわゆる一般的にネガティブと捉えられる感情を押し殺して生きてきたんですね。
 
でも、なんていうんですかね、今はそれを受け入れるというか「オレ、そういう感情あるんや」って知ってあげること、これがすごく大切な気がするんですよ。
 
なんでか言うたらね、「前へ進めーー!!」だけの人に不安とか恐れとか相談できんでしょ?
 
この人にはわからんやろなぁ。みたいな。
 
当然その人も「前に進む=美学」やから、不安や恐れを持った人に「大丈夫!未来へ進もう!」とか言っちゃうわけですよ。
 
でも、ちゃうねん。
 
ほんまは大事なんは、
「その人と感情を分かち合うことやねん。」
 
10年後も20年後も100年後も、いや100年後は生きてるか知らんけど(笑)、いつの時も人と共に生きるわけじゃないですか?
 
だったら大切なことは「人と感情を分かち合うこと」やと思うんですよ。
 
そう思ったらね、不安も恐れも悲しみも楽しみも愛しさも感動も嬉しさも全部全部自分が感じた感情を「あ、オレ、こういう感情感じてるんや」って知ってあげたら、なんていうんやろ、人間を感じてるし、気持ちも楽になるし、いろんな人とも心から分かち合えると思うんですよ。
いわゆる "幸せを感じる!" ってやつですよ。
 
今の僕はそんな感じです。
 
ポジティブだけでなく、弱い自分の感情も持ってるんだなを知っているんです。
 
でね、大事なのが、その "感情を知る" があった上で、
 
「さぁ、ほんで、オレは何をしたいのか」ということですよ。
 
止まってたらなんもおもろない。
 
死ぬ前に人生振り返ってたら、いやずーっと寝ながらごはん食べてただけやった。ってなったらおもろないじゃないですか?
 
人間なんで、いずれ、寝ながらごはん食べる日が続く時が来るかもしれないですよ。
 
じゃあ、今はどうか?
 
動けるんですよ。
 
今、動けるなら、動こうよ。
 
会いたい人がいたら会いに行こうよ。
食べたいものがあったら食べようよ。
やりたいことがあったらやろうよ。
 
1つ1つの夢を叶えにかかりながら、その時の感情を感じようよ。
もしかしたら、夢が叶った時よりも、何かに夢中になってる時の方が幸せかも。
 
青春感じようぜ。
 
オオニシタケシ
  

LIFE STORY

生まれてから今までのストーリーもここに残しておこう。

1983年7月23日大西家の次男として誕生

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母親が水谷豊のファンで当時流行っていたドラマ「熱中時代」の先生役、北野広大から、ウチの兄の名前が「広大」と名付けられました、そして、その次の水谷豊が主演のドラマの役の名前がタケシだったので、タケシ(武史)と名付けられたようです。すごくシンプルな発想だな(笑)、と我が両親を尊敬しつつ、僕自身は今でもすごく気に入って過ごさせて頂いてます。

保育園

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生まれた時からずっと、元気満々、わんぱく小僧、体でぶつかって生きてる、突進、ガーッて怪我して、気付く、そんなキャラでした。誰にでもついていく、誰からも物もらうし、よその家には平気でいくし、ガーッ動いて、動き切って、切れたら俊足でその場で寝る。を繰り返していたようです(笑)。今思い返せば、自由に過ごさせて頂いた両親に感謝しております。ありがとう。

小学校

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保育園の終わり頃から、空手道場に通い始めました。通い始めた理由は「家の中に入ってきた泥棒倒すねん!」でした。幸いながら泥棒は一回も入ってくることはありませんでしたが(笑)。空手では週に2日、試合前は土日に特別練習に行くほど真剣に取り組んでました。途中でキツすぎて泣きそうになることもたくさんありましたが、最後までやり切り、全国大会3位という結果を残すことができました。「本気で取り組めば結果は付いてくる」ということを体感させて頂いたことが今でも僕の生きていく上での軸になってます。師範には今でも感謝しております。

中学校

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宇治市立木幡中学校に通わせて頂きました。中学校では割とやんちゃに過ごさせて頂きました。髪の毛をオレンジにしたり(笑)、チャリで登校したり(笑)、挙げ句の果てにはローラーブレード登校とかもしていました(笑)。ただ、空手を本気でやっていたことから「人の気持ちを大切にする」人情を持たせて頂いていたため、人が嫌がることはしていなかったと思います。そのためか、やんちゃな友達も真面目な友達もたくさん交友関係を持たせて頂いてました。一緒に生きてくれた友達に感謝してます。また、やんちゃをしながら、勉強できる、とか、やんちゃをしながら、弱いものいじめをしない、など、なんか自分なりの「美学」があった気がします。この時からちょっと変な奴だったかも。。

高校

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高校は空手の推薦で京都外大西高等学校に通わせて頂き、空手道部に入学しました。この空手道部は名門で毎年全国大会(選抜大会・インターハイ)にも出場している部でした。入る前から厳しいだろうな、と予想はしていましたが、予想以上(キャパオーバー)の連続でした。上下関係に関しては、先輩と一年生とでは殿様と平民のようでした(笑)。今の時代だったら、一瞬でTVで取り上げられてるかも(笑)。練習も超ハードで、毎日毎日がやり遂げれるか、、必死の毎日でした。でも、「一生懸命取り組んだら結果は付いてくる」をここでも実感させてもらいました。高校2年の時に団体で全国3位になることができました。3位になった時は涙を流しながら仲間同士喜び合いました。今この文章を綴りながら、一緒に目標に向かって一生懸命歩んでいく「青春」っていいなぁ、と思います。やっぱり青春が大好き♡

大学

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推薦で龍谷大学に通わせて頂きました。もちろんここでも空手道部に所属しました。大学の空手は高校の時と一風し、先輩や同期、ほとんどのメンバーがやる気なし?本気で練習をしていない感じでした。僕もその空気に流されました。バイトに明け暮れた生活でした。しかし、3回生の終わり頃、キャプテンにに任命され、このままでいいのか、と考えさせられる時がありました。自分の心に問いただした結果、「全国1位目指したい!また青春を体験したい!」が湧いてきました。次の日に部の仲間みんなを集めて言いました。「一緒に全国1位目指そう!オレみんなんと一緒に目指したい!」みんなついてきてくれるか不安はありましたが、仲間全員「なんか楽しくなってきそうですね!目指しましょう!」と一丸になることができました。結果は、関西3位で終わりましたが、最後、感動の涙で、みんなでハグしあったのを覚えてます。

社会人

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はじめての社会人はテレウェイブリンクスという中小企業向けのWEB制作&コンサルティングの会社に入社させて頂きました。そこでは営業を担当させて頂きました。社会のことが右も左も分からない状態の中、テレアポをしたり、営業に行ったり、チームを持たせて頂いたり、マネージメントをさせて頂いたり、ビジネスをやっていく上での基礎作りを体験させて頂きました。チームを持たせて頂いた時、チーム売上を追っていた僕に「大西さんは自分のことしか考えてへん!」と仲間に言われ、仲間1人1人も人間だった。オレは自分のことしか考えれてへんかった!と気づかされたこともありました。それから何度も話し合い人間関係を築いていきました。当時の仲間や上司には感謝しかありません。ありがとうございました。

個人事業主スタート

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サラリーマンは7年勤めました。サラリーマンをしていた時から「独立したい」という想いがありましたが、「ビジネスのやり方なんてわからないし、独立=借金を抱える可能性がある」と思っていたので、行動に移すことはありませんでした。そんな中、上司や後輩が数人独立していく時期がありました。「周りは勇気を出して独立していってるのに、オレは何してるんだ。。」そう自分を責める時がありました。働いてから7年経った時、いきなり想いが湧いてきました。「リスクを抱えるのは怖いけど、、このまま行動に移さなかったら、ずっと変わらない人生を過ごしている気がする。」ずっと動けなかった自分の中で、ずっと同じ人生を過ごしてるかもしれない。変わらない人生を考えた時、その方が不安に感じました。そして、その後思い立ち、その勢いで独立しました。

独立したはいいが、所持金20万円、事業内容も決まっておらず、どうしたらいいのかもわからない状況でした。この時は「理念とかビジョンもなく、どうやったらお金を稼げるか」ばかり考えていました。しかも、所持金は20万。。リスクが少なくて、できる方法はないか、と検討した結果、店舗を持たなくていいことからWEBショップをつくり、販売することとなりました。商品はアパレル(靴含む)関係でした。ビジネス経験もありませんし、マーケティングやブランディングなどさっぱりわかっていませんでした。たまたま売上が上がった時もありますが、数ヶ月間鳴かず飛ばずな感じでした。毎日のように、WEBショップのコツ、とかネットで調べまくりましたし、経営者の先輩に聞きまくりました。そこで出てきた答えの1つに「お客さんの不安を解消するのだ」というメッセージが何度も出てきました。

「お客さんの不安を解消するのだ」、、当店でのお客さんの不安は何か?お客さんになったつもりで深く考えました。いろんなお店がある中で、ウチは何がいいんだろう→当店の特徴を紹介したり、、WEBでは商品(服や靴)を着たり試したりできないから、サイズ表をしっかり掲載しよう、、あ!それに加えて、サイズ交換ができるなら、不安なく買えるかも!など思いつきサイトに記載しました。どうなるかドキドキしていましたが、この「サイズ交換無料」というのがすごい効果があり、記載しただけで、全然売上が上がらなかったところから月に120万円ほど売れるようになりました。その後売上は伸び続け月商550万まで上がりましたが、その後、為替の変動が激しくなり、利益が出なくなったため、泣く泣く2年くらいでお店を閉めることになりました。ただこのWEBショップというお仕事を通じて「お客さんの不安を解消する」ことがとても重要なことに気づくことができました。これが僕のマーケティングの体験のスタートでした。

株式会社1000パーセント設立

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WEBショップを閉じた後、僕はWEB制作会社を立ち上げました。会社名は株式会社1000パーセント。営業だけでなくサイト制作のディレクション(設計)もしました。WEBショップを運営した後というのもあり、サイト制作のディレクションがすごく楽しかったのを覚えてます。お客さんはここで不安になるから、こういう導線でこういう情報があったらいいなぁ、と考えれるようになっていました。このお仕事は2年ほど続けさせて頂きましたが、その中で、大手アパレル会社であるS社さんのサイト制作やマーケティングを担当させて頂いたりもしました。お客さんは何を求めてるのか、何を不安に感じてるのか、大手も個人も中小企業も一緒で、すごく重要だということも学ばせて頂きました。貴重な経験をさせて頂き、S社さんはもちろん、すべてのお客さんとパートナーさんに感謝しかありません。

僕は変わらず、制作依頼を受けてWEBサイトを創るという受注制作をしていましたが、順調に売り上げを上げていたのと裏腹に、1つの違和感がありました。その違和感に気づかせてくれた会社が「バーグハンバーグバーグ」という会社でした。(http://bhb.co.jp/)、バーグハンバーグバーグという会社はおもしろいWEBサイトしか創らない!がコンセプトで、創るサイトがすべておもしろいサイトでした。僕にとって、なんかわからんけどいつも気になる存在でした。この時僕は思いました。おもしろいサイトを創るならバーグハンバーグバーグか、、これって、他と違う話題性のあるサイトを創りたい会社にとってはここを選んでしまうよな、、この感情が僕に「ブランディング」という概念を気づかせてくれたキッカケでした。僕はそれから「ブランド」について勉強しました。どうすれば、ブランドが創れるのか、必死で考えました。ビジネス構築の根本から知る必要もあると想い、周りで好評だったドリームワークカレッジやMAIDOインターナショナルというビジネススクールに通いました。
 

学びと体験が血肉と変わった。イマ、ココカラ。

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ここまで長いストーリーをお読み頂きありがとうございます。読むの大変でしたよね? ここまでが僕が今まで経験してきたことです。等身大の経験です。

さて、これからの僕は一体どうするのかですが、今までと大きく変わることはしません。今まで学び、実践してきたこと(理念やビジョン、マーケティング、ブランディング、ツナガリ)を通じて、よりいっそうそれを追求し、ブラッシュアップをして、「家族や仲間、そして大切なお客様と一緒に幸せを感じていく!」ただそれだけです。それが一番大切です。
  
あなたと一緒に
幸せを感じれる日をを楽しみにしています。
   
「 " 自分が好き " と幸せを感じる人しかいない世界をつくる 」
   
WEBコンサルをしながら表現をしてる関西人
株式会社1000パーセント 代表
オオニシタケシ