“オオニシタケシのプロフィール”

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オオニシタケシ(タケちゃん)
株式会社1000パーセント代表取締役
ハッピービジネスプロデューサー

1983年7月23日生まれ。
京都府出身。滋賀県在住。
O型

好きなもの・好きなこと

お笑い・人と話すこと・空手・天下一品のラーメン・もうやんカレー・海・沖縄・バリ島・オシャレ・人情とか思いやり

★MESSAGE

いつもブログを読んで頂きありがとうございます。
ハッピービジネスプロデューサーのオオニシタケシです。

このページでは、僕がどういう風に生きてきたかとか、何を想い、お仕事をさせて頂いてるかなど、具体的なプロフィールについてお話しさせて頂ければと思います。

現在、WEBを中心としたビジネスのプロデュースや、ビジネス構築のアドバイスなどコンサルティングのお仕事をさせて頂いてますが、僕と付き合いの深い方はどんな人柄か(多分)わかって頂いてると思います。

だけど、まだ、お会いしたことのない方やお話しさせて頂いてない方は、僕にお仕事を依頼してみたい、という気持ちを持って頂いても、人柄や考え方など深く分からず、不安になられる方もいらっしゃると思います。

ここでは、少しでも、僕自身がどんな人間か知って頂き、安心して、ブログを読んで頂いたり、お仕事をご依頼して頂いたりなど、して頂ける材料となれれば幸いです。わかりにくい箇所もあるかもしれませんが、等身大を綴っておりますので、どうぞお読み頂けると幸いです。よろしくお願い致します。

ハッピーをクリエイトする!!
株式会社1000パーセント・オオニシタケシ

★STORY

1983年7月23日大西家の次男として誕生

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母親が水谷豊のファンで当時流行っていたドラマ「熱中時代」の先生役、北野広大から、ウチの兄の名前が「広大」と名付けられました、そして、その次の水谷豊が主演のドラマの役の名前がタケシだったので、タケシ(武史)と名付けられたようです。すごくシンプルな発想だな(笑)、と我が両親を尊敬しつつ、僕自身は今でもすごく気に入って過ごさせて頂いてます。

保育園

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生まれた時からずっと、元気満々、わんぱく小僧、体でぶつかって生きてる、突進、ガーッて怪我して、気付く、そんなキャラでした。誰にでもついていく、誰からも物もらうし、よその家には平気でいくし、ガーッ動いて、動き切って、切れたら俊足でその場で寝る。を繰り返していたようです(笑)。今思い返せば、自由に過ごさせて頂いた両親に感謝しております。ありがとう。

小学校

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保育園の終わり頃から、空手道場に通い始めました。通い始めた理由は「家の中に入ってきた泥棒倒すねん!」でした。幸いながら泥棒は一回も入ってくることはありませんでしたが(笑)。空手では週に2日、試合前は土日に特別練習に行くほど真剣に取り組んでました。途中でキツすぎて泣きそうになることもたくさんありましたが、最後までやり切り、全国大会3位という結果を残すことができました。「本気で取り組めば結果は付いてくる」ということを体感させて頂いたことが今でも僕の生きていく上での軸になってます。師範には今でも感謝しております。

中学校

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宇治市立木幡中学校に通わせて頂きました。中学校では割とやんちゃに過ごさせて頂きました。髪の毛をオレンジにしたり(笑)、チャリで登校したり(笑)、挙げ句の果てにはローラーブレード登校とかもしていました(笑)。ただ、空手を本気でやっていたことから「人の気持ちを大切にする」人情を持たせて頂いていたため、人が嫌がることはしていなかったと思います。そのためか、やんちゃな友達も真面目な友達もたくさん交友関係を持たせて頂いてました。一緒に生きてくれた友達に感謝してます。また、やんちゃをしながら、勉強できる、とか、やんちゃをしながら、弱いものいじめをしない、など、なんか自分なりの「美学」があった気がします。この時からちょっと変な奴だったかも。。

高校

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高校は空手の推薦で京都外大西高等学校に通わせて頂き、空手道部に入学しました。この空手道部は名門で毎年全国大会(選抜大会・インターハイ)にも出場している部でした。入る前から厳しいだろうな、と予想はしていましたが、予想以上(キャパオーバー)の連続でした。上下関係に関しては、先輩と一年生とでは殿様と平民のようでした(笑)。今の時代だったら、一瞬でTVで取り上げられてるかも(笑)。練習も超ハードで、毎日毎日がやり遂げれるか、、必死の毎日でした。でも、「一生懸命取り組んだら結果は付いてくる」をここでも実感させてもらいました。高校2年の時に団体で全国3位になることができました。3位になった時は涙を流しながら仲間同士喜び合いました。今この文章を綴りながら、一緒に目標に向かって一生懸命歩んでいく「青春」っていいなぁ、と思います。やっぱり青春が大好き♡

大学

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推薦で龍谷大学に通わせて頂きました。もちろんここでも空手道部に所属しました。大学の空手は高校の時と一風し、先輩や同期、ほとんどのメンバーがやる気なし?本気で練習をしていない感じでした。僕もその空気に流されました。バイトに明け暮れた生活でした。しかし、3回生の終わり頃、キャプテンにに任命され、このままでいいのか、と考えさせられる時がありました。自分の心に問いただした結果、「全国1位目指したい!また青春を体験したい!」が湧いてきました。次の日に部の仲間みんなを集めて言いました。「一緒に全国1位目指そう!オレみんなんと一緒に目指したい!」みんなついてきてくれるか不安はありましたが、仲間全員「なんか楽しくなってきそうですね!目指しましょう!」と一丸になることができました。結果は、関西3位で終わりましたが、最後、感動の涙で、みんなでハグしあったのを覚えてます。

社会人

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はじめての社会人はテレウェイブリンクスという中小企業向けのWEB制作&コンサルティングの会社に入社させて頂きました。そこでは営業を担当させて頂きました。社会のことが右も左も分からない状態の中、テレアポをしたり、営業に行ったり、チームを持たせて頂いたり、マネージメントをさせて頂いたり、ビジネスをやっていく上での基礎作りを体験させて頂きました。チームを持たせて頂いた時、チーム売上を追っていた僕に「大西さんは自分のことしか考えてへん!」と仲間に言われ、仲間1人1人も人間だった。オレは自分のことしか考えれてへんかった!と気づかされたこともありました。それから何度も話し合い人間関係を築いていきました。当時の仲間や上司には感謝しかありません。ありがとうございました。

個人事業主スタート

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サラリーマンは7年勤めました。サラリーマンをしていた時から「独立したい」という想いがありましたが、「ビジネスのやり方なんてわからないし、独立=借金を抱える可能性がある」と思っていたので、行動に移すことはありませんでした。そんな中、上司や後輩が数人独立していく時期がありました。「周りは勇気を出して独立していってるのに、オレは何してるんだ。。」そう自分を責める時がありました。働いてから7年経った時、いきなり想いが湧いてきました。「リスクを抱えるのは怖いけど、、このまま行動に移さなかったら、ずっと変わらない人生を過ごしている気がする。」ずっと動けなかった自分の中で、ずっと同じ人生を過ごしてるかもしれない。変わらない人生を考えた時、その方が不安に感じました。そして、その後思い立ち、その勢いで独立しました。

独立したはいいが、所持金20万円、事業内容も決まっておらず、どうしたらいいのかもわからない状況でした。この時は「理念とかビジョンもなく、どうやったらお金を稼げるか」ばかり考えていました。しかも、所持金は20万。。リスクが少なくて、できる方法はないか、と検討した結果、店舗を持たなくていいことからWEBショップをつくり、販売することとなりました。商品はアパレル(靴含む)関係でした。ビジネス経験もありませんし、マーケティングやブランディングなどさっぱりわかっていませんでした。たまたま売上が上がった時もありますが、数ヶ月間鳴かず飛ばずな感じでした。毎日のように、WEBショップのコツ、とかネットで調べまくりましたし、経営者の先輩に聞きまくりました。そこで出てきた答えの1つに「お客さんの不安を解消するのだ」というメッセージが何度も出てきました。

「お客さんの不安を解消するのだ」、、当店でのお客さんの不安は何か?お客さんになったつもりで深く考えました。いろんなお店がある中で、ウチは何がいいんだろう→当店の特徴を紹介したり、、WEBでは商品(服や靴)を着たり試したりできないから、サイズ表をしっかり掲載しよう、、あ!それに加えて、サイズ交換ができるなら、不安なく買えるかも!など思いつきサイトに記載しました。どうなるかドキドキしていましたが、この「サイズ交換無料」というのがすごい効果があり、記載しただけで、全然売上が上がらなかったところから月に120万円ほど売れるようになりました。その後売上は伸び続け月商550万まで上がりましたが、その後、為替の変動が激しくなり、利益が出なくなったため、泣く泣く2年くらいでお店を閉めることになりました。ただこのWEBショップというお仕事を通じて「お客さんの不安を解消する」ことがとても重要なことに気づくことができました。これが僕のマーケティングの体験のスタートでした。

株式会社1000パーセント設立

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WEBショップを閉じた後、僕はWEB制作会社を立ち上げました。会社名は株式会社1000パーセント。営業だけでなくサイト制作のディレクション(設計)もしました。WEBショップを運営した後というのもあり、サイト制作のディレクションがすごく楽しかったのを覚えてます。お客さんはここで不安になるから、こういう導線でこういう情報があったらいいなぁ、と考えれるようになっていました。このお仕事は2年ほど続けさせて頂きましたが、その中で、大手アパレル会社であるS社さんのサイト制作やマーケティングを担当させて頂いたりもしました。お客さんは何を求めてるのか、何を不安に感じてるのか、大手も個人も中小企業も一緒で、すごく重要だということも学ばせて頂きました。貴重な経験をさせて頂き、S社さんはもちろん、すべてのお客さんとパートナーさんに感謝しかありません。

僕は変わらず、制作依頼を受けてWEBサイトを創るという受注制作をしていましたが、順調に売り上げを上げていたのと裏腹に、1つの違和感がありました。その違和感に気づかせてくれた会社が「バーグハンバーグバーグ」という会社でした。(http://bhb.co.jp/)、バーグハンバーグバーグという会社はおもしろいWEBサイトしか創らない!がコンセプトで、創るサイトがすべておもしろいサイトでした。僕にとって、なんかわからんけどいつも気になる存在でした。この時僕は思いました。おもしろいサイトを創るならバーグハンバーグバーグか、、これって、他と違う話題性のあるサイトを創りたい会社にとってはここを選んでしまうよな、、この感情が僕に「ブランディング」という概念を気づかせてくれたキッカケでした。僕はそれから「ブランド」について勉強しました。どうすれば、ブランドが創れるのか、必死で考えました。ビジネス構築の根本から知る必要もあると想い、周りで好評だったドリームワークカレッジやMAIDOインターナショナルというビジネススクールに通いました。
 

学びと体験が血肉と変わった。イマ、ココカラ。

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ここまで長いストーリーをお読み頂きありがとうございます。読むの大変でしたよね?ここまでが僕が今まで経験してきたことです。等身大の経験です。僕はある時、自分の経験を思い返しました。もしも独立するあの時、理念やビジョンを持ってビジネスをスタートしていたら、もしもあの時お客さんの気持ち(マーケティング)を理解していたら、もしもあの時選ばれる存在(ブランディング)を理解していたら、、もしもあの時すべてを知っていたら、スゴイことになっていただろうなぁ、とワクワクと悔しさが溢れ出てきます。そして僕はもう一つの感情が溢れ出てきました。「今まで自分が経験をしてきたことで、輝く人をいっぱい創りたい!」この想いが僕の新しい取り組みであるハッピークリエイターズ(スクール)が始まるキッカケです。

ハッピークリエイターズ(スクール)

サラリーマンしかやってこなかった僕は独立する勇気がなかった。必要な考え方も知らなかった。ビジネスを創る方法も知らなかった。そして、独立しても、どうやって商品を創ったらいいかわからなかった。お客さんに理解してもらうマーケティングも知らなかった。選ばれる存在になるブランディングも知らなかった。お客さんとの絆の育み方も知らなかった。
 
今でこそ、いろんな事業の立ち上げやWEB戦略のアドバイザーとしてイキイキとお仕事させて頂いてますが、もし、これらをサラリーマンをしてる時や、学生の時から知っていたら、僕は自分の理想の未来を描き、自分の価値を知り、自分が絶対喜ばせれる人を知り、ハッピーを共有していくという幸せを早い段階から感じることができたと思う。

もし、あなたが
これからビジネスを始めたくて、
 
そして、不安がある中でも
行動を起こしていく!という勇気があるなら、
 
ハッピーライフクリエイターズは、
それらすべてを得れる場所であり、あなたが輝ける場所だと思う。
 
それぐらい僕自身想い入れがあるし、一緒にハッピーをクリエイトしていきたいと強く思っている。
 
 

僕のミッション

ハッピービジネスをクリエイトしていく人を創造する!
みんなをハッピーにするためにまずはワレワレが輝くのだ!!
 
 

僕のビジョン

ハッピービジネスをクリエイトしていく人を100人育てる!
そして、ハッピークリエイターズという集団がいることで
世の中にハッピーをクリエイトしたい!という人たちが続々と現れる。
 
 
勇気あるあなたと一緒に
ハッピーを創造できることを楽しみにしています。
 
 
ハッピービジネスプロデューサー
株式会社1000パーセント代表取締役
オオニシタケシ